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10円青銅貨の手変わり

現行10円青銅貨の手変わり分類表について現時点での分類をまとめました。

現行10円青銅貨の手変わりの分類表が神吉先生によって初めて1994年版「日本貨幣カタログ」、収集「2006年9月号」に掲載された。その後の情報は鈴木和三郎先生の『日本の現行貨幣−収集の手引き』2011年10月しかありませんでした。10年後の現在の手変わり分類表がありませんでしたのでまとめてみました。
私が新発見したものも含めて追加してまとめました。宇治平等院鳳凰堂の図案にしたがってまとめています。収集家に有益になれば幸いです。未見品などありましたら面倒でも報告をください。

ギャラリー

昭和55年 Bd型

 金融機関ロール

両面とも年号面だが背景や同じ金融機関ロールということから昭和55年 Bd型と判明。崩す必要はない。

昭和55年 Bd型



上の反対面

昭和60年 Ce型

これも同じで両面年号面。この年号は一つしかないのでCe型と判明。

 
       

昭和60年 Ce型

これも同じで上と同じ両面とも年号面。



通常貨

 昭和26年〜昭和33年
 昭和34年〜昭和44年
 昭和45年〜昭和52年
 昭和53年〜昭和64年
 平成元年〜平成7年
 平成8年〜平成11年
 平成12年〜平成16年
  平成17年〜平成25年
 平成26年〜平成31年
 令和元年〜令和3年







プルーフ貨

昭和62年〜平成7年
平成8年〜平成16年
平成17年〜平成31年
令和元年〜令和3年

informationお知らせ

              
2021年11月25日
2021年11月21日(日) CBCテレビで放送されたBACKSTAGE 〜MC武井壮が「新500円硬貨」製造現場に潜入!〜 を追加。
2021年10月29日
現行貨の手変わりメイン情報BBS」より昭和45年 中期 Ba1型 を追加しました。       
2021年10月13日
通常貨およびプルーフ貨、すべての画像と識別番号を公開しました。       
2021年10月8日
通常貨(平成元年から平成7年)を追加しました。https://10yen-tegawari.com/tujyo6.html      
2021年10月1日
通常貨(昭和52年〜昭和64年)など追加。https://10yen-tegawari.com/tujyo5.html
2021年9月19日
ブログの追加。https://10yen-tegawari.com/10YEN/です。
2021年9月15日
サイトを移転。新URLはhttps://10yen-tegawari.com/です。
2021年8月21日
通常貨 昭和26年〜昭和33年を修正
2021年8月14日
2021年1月23日に放映された基壇を筆法積みではなく、乱積みに修正(テレビ東京系番組制作会社の間違い)。
2021年8月11日
10円青銅貨の表面に刻印されている平等院鳳凰堂の図柄との関係について興味深いテレビ内容がありましたので追加しました。2021年1月23日放映、1月30日再放送 BSテレビ東京「新美の巨人たち」で取り上げられました。
2021年8月8日
「背景続き」をリンクに加えました。
2021年7月22日
10円青銅貨の手変わりのWEBページを一部公開しました。
20**年*月*日
ここに新着情報が入ります。ここに新着情報が入ります。ここに新着情報が入ります。ここに新着情報が入ります。ここに新着情報が入ります。


1.はじめに
このホームページではこれから現行10円青銅貨の手変わりを収集しようとする方、あるいはすでに盛んに収集を進めている方々のために、10円青銅貨の基本的事項や名称、収集の方針などについて、記したものである。世界最古の趣味の一つともいわれるコインの収集。動機はデザインの美しさや歴史に触れる楽しみなど様々だが、資産としてコインがインフレに強く価値が保たれてきたこともコレクターを引き付ける一因である。稀少度、人気度、認知度などが高いことに加え、デザインの良い「手変わり」品はコイン投資にもなる。


わが国では、年号別収集については初心者向けのジャンルではあるが、10円青銅貨の手変わりの収集についてはその歴史が浅く、次第に盛んになってきたのは、ここ30数年のことであろうか。最近、ネットオークションでは稀少性の高いものでなくても【手変わり】表示され異常ともいえる高値がつけられていることをしばしば見かける。現在は趣味の多様性のため貨幣の収集家の減少に加え、貨幣業者の減少も徐々に見かけるようになった。10年後の貨幣業者は何社残っているだろうか。

ところが、昭和48年ごろから『ボナンザ』誌上で杉浦和美氏により昭和56年前期と後期、枝重夫氏は昭和27年前期と後期の論文が2名の研究者によって発表された。それ以降は正確な概説書はほとんどなく、日本銀行調査局編の『図録・日本の貨幣9 管理通貨制度下の通貨』、郡司勇夫編『日本貨幣図鑑』ともに東洋経済新報社から発行されたものから昭和27年の手変わりの情報を得るしかなかった。今ではこれらの書物や雑誌は絶版や廃刊となっていて入手が難しくなっている。そのため、これらは一般には見かけることができず、収集の手引書は皆無であったといえる。また、「手変わり」に対する情報がまちまちで正確な情報を得ることができなかったことも手変わり収集家が増えなかった一因である。

わが国で最初に10円青銅貨の手変わり分類表が発表された神吉廣純氏の現行貨幣の手変わり『日本貨幣カタログ1994年 特集』285頁は手変わり収集家にとって唯一、信頼できる情報であり「手変わり」が日の目を見た最初の書籍ともいえる。なにせ『日本貨幣カタログ』に掲載されたのだから日本貨幣商協同組合に正式に認知された分野ともいえるからである。毎年、追加・訂正され通常貨とプルーフの手変わりと存在比なども掲載されると非常に嬉しい。しばらくの間は情報はこれ一冊しかなかったため収集家にとっては時間もかかり正確な情報(存在比、稀少度など)を得ることは難しかっただろう。

特に、神吉廣純氏の分類表のうちで「存在の報告はあるが現品未確認のもの」として挙げられている昭和56年 Bd型 左裳階枕:上下無し(未見) 、昭和59年 Cb型 左破風:階段型を探し出すことにも相当時間がかかったであろう。特に、昭和56年 Bd型 左裳階枕:上下無し は報告者の間違いではないかというくらい存在しないものである。

一方、昭和59年 Cb型 左破風:階段型 は私が流通品から良い状態のものを8年前に初めて発見し現在までに5枚ほど見つけ出すことに成功した。この昭和59年 Cb型 左破風:階段型は神吉廣純氏の分類表にある存在の報告はあるが現品未確認のものは茨城貨幣研究会例会でも出席されたメンバー全員に見てもらっているので未使用は必ず存在する。見つかることを期待している。あるいはすでに手変わり品に詳しい方は貨幣業者で選んできたことも十分に考えられる。私は昭和59年 Cb型 左破風:階段型 の未使用を探しています。未使用品を持っている方はぜひ情報をください。
しかしながら現状は「手変わり」品の発行枚数や最新の手変わり分類表、各部の名称などの情報が研究者によってまちまちで非常に少なく、特に識別番号が分からないという収集家が多い。財務省(旧大蔵省)で各手変わり品に対し、公式な製造枚数を発表していないこともあるだろう。

最も、造幣局では種印の変化については、種印の製作は企業秘密でありセキュリティ対策上外部には漏らすことができないため知りたくても正確にはよく分からないのが実情である。我々収集家にとっては推定することしかできない。例えば、なぜ昭和56年銘は5つの極印が使われたのか、昭和61年銘など「日本貨幣カタログ」に掲載されてはいるがあくまで推量に過ぎないということである。造幣局の概念では「手変わり」はない、図案は昭和26年発行時から現在まで変更していない。貨幣の図案は政府の閣議によって決定され、政令で決められどの年号も同じ平等院鳳凰堂だという。仮に極印製作担当者が仮に変わったとしても図案に変化はないという公式な回答である。私は第26回東京国際コイン・コンヴェンション(平成27年)の懇談会で 造幣局理事に質問をしたことがあるが「造幣局には手変わりの概念」はないとのことでした。

また、大手の貨幣業者にも認知された昭和27年前期と後期の手変わりについても造幣局は収集家たちの唯一のバイブルである日本銀行調査局編の大型本の書籍と一致しない回答をしている。日本銀行調査局『図録 日本の貨幣9』東京経済新報社、1975年、272頁と郡司勇夫編『日本貨幣図鑑』東洋経済新報社、1981年、265頁に「表面の屋根の両端にある鳳凰の屋根の尾は、当初製造分では垂れ下がっていなかったが、27年後半製造部分から現在の尾に改められた。」と解説されていますが年報書等を見ましても一切記載がなく、造幣局では確認できないという。当時の日本銀行調査局の調査と矛盾する点である。これらの2冊の大著の書籍を読んでみるとこの矛盾点がよくわかる。普通は当然ながら、収集家および貨幣業者にとっても日本銀行調査局編ということで信用性は極めて高い情報だと言えよう。

一方、私の希望なのだが毎年のように『日本貨幣カタログ』日本貨幣商協同組合、に掲載することが紙面の都合上難しければ同じ日本貨幣商協同組合編の『日本の現行貨幣−収集の手引きー』に一部の近代貨幣の手替わり別分類表のように「現行貨幣の手変わり」としても「10円青銅貨の手変わり分類表」も掲載されるようになれば、一般の収集家にとっても便利になり「手変わり」収集家にとっても混乱を生むことはある程度避けることができるのではないか。

しかしながら現状は異なり、例えば、茨城貨幣研究会 八木明男「一朱銀の手引き」書信館出版株式会社、のように一冊の書籍として出版できたとしても「手変わり」収集家が非常に少ないことに加え、関心のある一般収集家や貨幣業者さえも少ないうえに、出版社にとっても利益が少なく望めないことから発売したとしても出版数の増加が望めずすぐ絶版になってしまう恐れが非常に高いと予想しているに違いない。

現時点で認知された手変わり品は、大手オークションで出品されたことのあるものは手変わり品として認知されたと考えてもよいだろう。例えば、マスメディアでも取り上げられたことのある有名な昭和61年前期・後期(稀少)と銀座コインオークションに出品されたことのある昭和27年前期・後期、の2種類しかない。さらに加えるならば、大手オークションではないが『収集』誌上入札でも出品されたことのある昭和56年前期・後期の合計3種類ということになる。

人気度、稀少性、認知度によって価値が左右されるため昭和61年 後期 Cf型 未使用に高値が付く。もともと発行枚数が少ないうえに、地域差が大きく、未使用が極めて少ないのと、「日本貨幣カタログ」と『収集』誌に発表されたため人気度が極めて高いためである。今ではスラブケースのMS65RDなどは20万円程度の値が付く。コインは独自の需給で価格が決まるため、銅貨の未使用に良い評価が付くことが多い。コイン業者のダルマの大谷社長は「銅貨は実際の取引に使われた結果、摩滅していないいい状態のものが少ない。」という。「手変わり」こそ長い目で投資すれば、結果的に投資として成功する可能性がある。

さらに、『収集』2006年9月号、19頁に号・喀龍 神吉廣純氏の10円青銅貨手変わり分類表が「日本貨幣カタログ1994」に追加して発表されて以来、およそ15年以上が経過した。発表された当時は、神吉廣純氏の分類表には「存在の報告はあるが現品未確認のもの」というものがあったため、なかなかすべてを収集することは難しかったことが伺える。私は昭和59年 Cb型 左破風:階段型を5枚、流通貨から見つけることができた。そのため未使用品を探しています。必ず未使用品はあるはずであり、発見までに数十年かかるかもしれない難獲品である。一方、昭和56年 Bd型 左裳階枕:上下無し は現在まで流通品からは見つけることができなかった。そのため存在にはかなり否定的である。

その『収集』2006年9月号に掲載された号・喀龍 神吉廣純氏の10円青銅貨手変わりの記事のうち、昭和61年 前期 Ce型と昭和61年 後期 Cf型 昭和62年プルーフ  の図と説明が『日本貨幣カタログ』に掲載されるに至った。現在では精密なコンピュータで種印が作られ、造幣局・装金極印課の土手内靖作業長が修正している。さらに現在では正確な極印が作られていることと検品も念入りにされているために「手変わり」はできないものと推定する。なお、極印のことを収集界では刻印とも呼ぶ。刻印という用語は日本近代銀貨研究会で使われている。私は極印という用語に統一している。

なぜ昭和56年の当時は5種類もの種印が使われたのが大いに疑問である。私の勝手な想像であるが、恐らく種印の疲労が生じたために造幣局の職人が平等院鳳凰堂側を数人で彫ったために異なった図案ができてしまったのだろう。当時の種印の耐久性は現代とは比較にならないくらい早かったのかもしれない。いや、発行枚数が異常に多いためにもともと種印が数種類用意されていたのかもしれない。種印の修正も高度な技術が必要で同一で正確なものを作らなかったためにできたものともいえよう。例えば、朝鮮戦争勃発のために不発行に終わった10円洋銀貨のように社会情勢がそのようにしたのかもしれない。当時は後に異なった図案ができて現在のように手変わりコレクターが出現すること、もしくは存在数の少ないものが異常ともいえるほど貨幣業者で高値になることは想像していなかったためとも考えられる。例えば、スラブケース入りの鑑定品 昭和61年後期 Cf型 未使用 は『日本貨幣カタログ』でもすでに分類されている稀少手変わりであり、市場でもプレミアム付きで分類販売されているので、普通価格で拾うことはまず不可能であろう。

昭和56年全体の製造枚数は、各手変わり品の合計Bc型+Bd型+Be型+Bf型+Ca型になる。同様のことはあらゆる年号の手変わり品の製造枚数に関しても当てはまる。対称分類全体を100%として大分類とした。
ちなみに昭和25年から昭和32年まで宇治平等院鳳凰堂は昭和の大修理を行っている。修理中に10円青銅貨が発行された。したがって、10円青銅貨の姿は昭和の大修理以前の姿であり明治修理後の姿である。平等院は京都府宇治市の宇治川のほとりにある。古くは源融の別荘であったが、後に、藤原道長を経て頼道に伝えられ、末法に入ったとされる1052(永承7)年、頼道は天台系の寺として平等院を開き、翌年に定朝作の阿弥陀如来座像を安置し、阿弥陀堂を建立した。これが今日の鳳凰堂である。

平成になり平等院鳳凰堂の大修理が行われる。産経新聞電子版2013年7月25日によると、造幣局・装金極印課の土手内靖作業長は「この年銘が入った種印は、毎年、一つしか作らないので、大変、貴重なものになります。」と説明する。この年号の部分を新たに作り変えるということだが「土手内氏を含めて数名で彫りを担当していきます。機械掘りをしまして、機械で彫れないところを手彫りで直していきます。」機械で彫った修正前のものと、手彫りをした後のもの、比べてみると鮮明さが全然違う。土手内氏は、日本で唯一、10円青銅貨の表に描かれている宇治平等院鳳凰堂を彫ることのできる人である。大阪の優秀な技術者に贈られる「なにわの名工」にも選ばれている。土手内氏の存在自体が貨幣の偽造防止に一役買っているという。彼は宇治平等院鳳凰堂を彫れる名工である。現在の大阪の造幣局での貨幣の製造過程が詳しく解説されている。
土手内氏は「今、十円玉を担当しているため2018年に製造された十円玉はすべて私が修正した金型から作られることになります。それが日本中に出回るわけですから、とてもやりがいを感じます。十円玉の表に描かれた平等院鳳凰堂の部分は特に難しい。」と解説する。

また、2021年11月5日のNHK 関西 NEWS WEBによると、すぐれたもの作りの技能を持つ「現代の名工」に大阪・北区の造幣局から硬貨の種印の製作に長年関わってきた土手内靖さん(57)が選ばれた。土手内さんは、「ものづくりに関わっている者にとって最高に名誉ある賞で、ものすごくうれしいです。後輩の役に立つような立場になっていきたいと思います」と話されていた。大阪・羽曳野市出身で高校卒業後、造幣局に入り硬貨や勲章の金型のもとになる「種印」の製作に40年近く関わってきた。種印は文字や図柄を機械で大まかに作った後は、すべて手作業で完成させる。土手内さんは、顕微鏡を見ながら手作りの工具を使って、最小で、1000分の3ミリ単位で、文字や図柄の輪郭を削り取る技術が評価された。今月、21年ぶりに発行された新500円バイカラークラッド貨幣の種印作りにも関わったということです。「現代の名工」の表彰式は、今月8日、東京で行われる。


さらに、CBC放送で2021年11月21日に放送されたBACKSTAGE〜MC武井壮が「新500円硬貨」製造現場に潜入!〜」によると、 新500円バイカラークラッド貨幣の製造場所の大阪・造幣局の内部があり参考になります。種印についても詳しく解説されています。貨幣の模様をつける元となるものを種印と呼んでいる。種印とは硬貨の模様が刻まれた金型のこと。種印を写し取った極印をいくつか作り、工場で硬貨作りに使う。種印は世界で一つしかない硬貨作りの大元。ただし、極印を作るたびにすり減って模様が変形するため、定期的に修正している。今は種印だけ修正するだけで極印はいじらないようである。これが正しい解釈なのかもしれない。平等院鳳凰堂の図柄の10円青銅貨の種印の作者の種印マスター(造幣局 種印職人歴38年)土手内靖さん(57)もコメントされています。日本で流通される硬貨はわずか6人で種印の修正をされている。最も種印作りが難しいものに10円青銅貨を挙げられています。土手内さんは全ての貨幣を彫る技術を持つ。また、無数にある細かい線をくっきりさせるのが至難の業であると言う。また、土手内さんが入省されてから10円青銅貨を彫れるまで25年かかったという。非常に難しい作業だ。細かい線を彫る技術を長く経験を積んで一人前になる。技術者といえる。10円青銅貨の種印作りができるのは、土手内靖さんと造幣局 種印作り28年 松本和彦さん(49)の2人だけです。種印作りの作業期間(修正作業)には2か月掛かります。他の1円、5円、50円、100円、500円はわずか2−3週間である。


その後、貨幣業界は徐々に衰退し趣味の多様化に伴い収集家やコイン業者の数も少なくなっていった。研究者によって考え方は様々であることに加え、場所の正式名「軒丸瓦」のことを貨幣上の呼び名について神吉廣純氏は「饅頭」、鈴木和三郎氏は「左隅楼の形状軒先 ●有」と呼び名はばらばらで実際のお堂とは異なる名称が使われている。近代貨幣の1円銀貨や50銭銀貨などの名称にも柳生淑郎氏が執筆された「近代貨幣分類図鑑」に可能な限り準拠している(日本近代銀貨研究会)。このように実際に使われている呼び名と貨幣に彫刻をする場合、省略されていることが目立つ。貨幣にする場合は仕方がないともいえる。

従来、昭和61年 後期 Cf型 階段石垣耳石:切れ目:無しは昭和62年プルーフを製造する際の試鋳貨と考えられてきた。ところが最近になって、私がヤフオクから偶然に昭和62年プルーフ Ce型 前期 階段石垣耳石:切れ目:有り を新発見したことから「日本貨幣カタログ」掲載記事は時代に合わないという問題が残っていた。まだ、その「貨幣」を専門家に鑑定をしてもらっていないため明確ではありません。また、プルーフ貨は二重打ちにもかかわらず模様の異なる貨幣が存在することは明らかに手変わりが存在することが言えるだろう。通常貨にも同様のことが言える。

現行10円青銅貨の手変わり分類表について、現在まで詳しく解説された書物がなかったために催事などで【手変わり】表示され高値でプレミアムがつけられ店頭に並んでいた状況を見ると胸が痛んだ。その貨幣は2枚(前期と後期)で状態は未使用であったが2枚とも存在数は非常に多く、ごくありきたりにみられる10円青銅貨であり、廃刊となった『ボナンザ』誌にかつて杉浦和美氏がわが国で初めて発表されたものであった。
この文献は杉浦和美氏「現行十円銅貨 昭和56年の手変わり」(『ボナンザ』18巻、111号、1982年)であり、文献に発表された影響で高値で取引されていたのである。日本の十円青銅貨の手変わりの歴史がわかる初めての文献であり画期的であった。コインショップ隆泉 工藤隆正氏からこの資料を送って頂いた。敬意を表したい。『ボナンザ』誌が廃刊になる数年前は、手変わり研究が多くの研究者によって『ボナンザ』誌上で次々と発表され長く続いた。

やがて現在になって『収集』誌上オークションなどにも昭和56年前期・後期が【手変わり表示】され出品された。しかし、「現行10円青銅貨」は一般の業者の店頭販売では現状、手変わり区分をされて販売されてはおらず資金もいらず集めやすいジャンルともいえよう。最も昭和61年 後期 Cf型 を除けば比較的手に入りやすい。昭和61年後期 Cf型は2019年6月4日放送「林修の今でしょ!」講座で紹介された有名な手変わりである。一般の収集家にとっても、昭和61年前期・後期、昭和27年前期・後期は著名な手変わりになった。逆の言い方をすれば、この情報を入手したごくわずかの上級者の手変わりコレクターに、未見品や稀少品を先に高額なプレミアムのない通常価格で拾われてしまうことも考えられる。


このホームページの内容は、主に10円青銅貨の年号別収集を卒業された中級者以上の収集家向けともいえる。かなり10円青銅貨の手変わりに詳しくないと理解できない分野でもある。近代貨幣の手替わりにもある程度理解し、種印、極印(刻印)の意味にも詳しくないと理解できないと思う。一つの種印から複数の極印が生まれ、造幣局の担当者(工芸官)が機械で修正できないところを手彫りで直す。種印の疲労が原因で別の種印を手彫りで修正する際に工芸官が異なった図案に彫ったため何種類もの種印が生じたとも考えられる。それゆえ手変わりは生まれるのだと推測します。種印の変化のことを「手変わり」という。明治期のコインには昔からタイプ別の分類があるが、とにかくバラエテイーに豊富である。種類の多さがコレクター心をくすぐるわけである。同一規格での大量生産技術が進んだ現行コインでも様々なタイプが存在することは興味深い。現在の造幣局の硬貨製造技術は世界最高水準である。

なかでもコレクターが注目するのが「手変わり」である。「手変わり」とは、同じ貨幣であっても、デザインや書体の細部に微妙な違いがあることを意味する。いろいろな手変わりが発見され、コレクター独自による研究が進んでいる。僅かな違いに見えるがここに評価額の大きな差が生まれ、その価格差は年々開いていく。例えば、昭和61年後期 Cf型 が有名である。

元近代貨幣研究会会長の枝重夫氏によると、「現行10円昭和27年の前期と後期について」(『ボナンザ』19巻、第5号、1983年)、などに発表されていた分類は平成24年銀座コインオークションやミントプラスオークションなどでも【手変わり】表示されるようになり現在ではすっかり一般にも定着した。当時の手変わり研究者によって分類方法もさまざまであり近年発行された10円青銅貨にも識別記号をつける必要性が高まったため最新情報を広く開示することにした。
専門的な書籍といえば平成23年10月に内外貨幣研究会から出版された書物だけであり、鈴木和三郎氏が発行された『日本の現行貨幣ー収集の手引きー』2011年10月だけである。およそ10年は10円青銅貨の手変わりの分類が放置されていたため今の分類が知りたくてこの分類表をまとめた。喀龍さんの分類された表が「日本貨幣カタログ1994特集」に表示されただけで後に発行された「日本貨幣カタログ」には掲載されていないことに加えて、評価がなされていないことが収集家を混乱させている。今までにも様々な情報が混乱しているため、現在までの一般収集家にとっては混乱していると思う。なお、各研究家の考え方の違いは様々でありはっきりとは分からないところがある。

実際の貨幣を製作する際にデフォルメされ省略された平等院鳳凰堂に関して実際にはないが貨幣にはある部分、逆に実際にはあるが貨幣にはない部分がある。これは仕方がない。神吉廣純氏は「10円青銅貨の平等院鳳凰堂は実物に忠実に描かれているように見えて、実は細部ではかなりデザイン化かつ省略化されており、実際の平等院鳳凰堂とは微妙に形状が違います」と『収集』誌では述べられています。アルファベットで表記した識別番号と各部位について可能な限り正確かつきちんと統一した情報が手変わり収集家たちに必要だと肌で感じていた。

私の「手変わり」収集が盛んになるにつれ、従来の神吉廣純氏の分類表に従うことにした。鈴木和三郎氏が発表された10円青銅貨の分類表は細分類されすぎて割愛させていただいたところが多い。例えば、催事やコイン商をめぐり長年時間をかけて良い状態のハイグレードのコインを集め完全収集ができるようにあえて主な手変わりだけ手変わり分類表に選んだ。鳳凰形状の違いなどの細分類は昭和27年銘の前期と後期に関する資料(日本銀行調査局『図録日本の貨幣 管理通貨制度下の通貨』第9巻、東洋経済新報社、1975年。)の残るものを除き省略しました。「国」の文字形状なども手変わりからは削除した。正確に言えば、手変わりですが細分類まで含めるとキリも限りもない。

あくまでも私個人の分類方法であり、分類方法も令和になり追加・改訂が必要だと常日頃から感じていた。Twitter仲間などにも細部の特徴記号・特徴分類を明記して欲しいという要望も受けた次第である。現時点で必要と思える分類表を神吉廣純氏の特徴分類を基本とし、鈴木和三郎氏の「日本の現行貨幣ー収集の手引きー」やWEBサイトに掲載されている分類方法(細分類)に私が修正して最近の発行された貨幣に追加して識別記号や各部位の呼び名も新たに付け加え手変わり分類表も改めた。組み合わせ手変わりである。

提案であり希望でもあるが、日本銀行調査局で貨幣・紙幣に関する書物を出版してくれれば収集家にとっては分かりやすいが出版社の印税や書店の収入も期待できるとは思えないから、せめてホームページだけでも情報を発信してもらえないだろうか。日本銀行調査局の公式見解であれば収集家は正確な情報ととらえることができ支持者が出るだろう。特に、貨幣業者は信頼して手変わり品に高値を付けると思う。収集家にとってもどれを手変わりにしていいのかはっきりと区別ができるため理解ができてよい。近年、日本銀行調査局から出版されていないのも問題である。

「収集家」にも十分納得してもらえる分類方法と識別番号と思えるが、貨幣の拡大倍率によってはさらに細分類が可能になるため収集家独自の手変わり方法があってもいいと考えている。神吉廣純氏の発表された「手変わり分類表」にある識別記号についても未見のものがあり存在が非常に疑わしいものも見られる。そのため昭和56年 Bd型 左裳階枕:上下無し は私は存在にかなり否定的で収集範囲から外してもいいと思う。報告者の間違いではないかとも思える。また、識別記号に関しても独自のものがあってもよいと考えている。

私がおよそ8年かけて流通貨幣を探してみたが、神吉廣純氏の分類表には「存在の報告はあるが現品未確認のもの」とされるもののうちで 昭和56年 Bd型 左裳階枕:無し と鈴木和三郎氏の『日本の現行貨幣−収集の手引き』に掲載されている 昭和54年 Bb2型 左隅楼軒先:細い2本線 左裳階 枕:下無 を見つけることはできなかった。特徴分類や手変わり分類を記号化するようにした。言い換えるならば、識別番号を各10円青銅貨の手変わりにつけてみた。

名称は立体的なものをデフォルメして平面に彫刻しているため、実際にはあるものがなかったり、逆にあったりする。省略されているため、貨幣上での呼び名にはこだわらなくでもいいのではないかと思う。なお、注意しなければならないのは10円青銅貨は低額貨幣のために、摩滅や摩耗が激しいため手変わり分類は未使用品で区別しなければならないことである。使用された頻度が非常に高い。そのため、傷や摩耗のほとんどない未使用状態のものは大変稀少です。私は10円青銅貨の「手変わり品」の未使用品をすべて収集したい。

10円青銅貨の通常貨での手変わり分類はほぼ収束しつつある。だが、プルーフはサンプル数が少なく催事で確認できた回数が少ないことに加え、私の所有する少数の貨幣だけしか見ておらずまだまだ新情報が出てくる可能性があり、大きく期待している。あくまでも現時点で盛り込める情報を可能な限り掲載したつもりである。10円青銅貨の鳳凰堂のような繊細な図案は流通したものでは傷などによって図案が変形したり鮮明でなくなっていることが考えられるため極美品、未使用、完全未使用で判別するのが確実です。また、文字や図案の太さの違い、幅の違いなどは極印の使用途中に行われる研磨作業によって変わってくることなので、太さや文字の幅の違いに着目して別種と分類するのは適当ではありません。

そして10円青銅貨(通常貨・プルーフ貨)に関する分類研究が進むこと、コイン収集活動のさらなる促進と日本の収集文化の発展に寄与できることを念願している。これにより一般の入門者が細部に関する知識を得るために役立てばありがたいし、さらに研究が進みこの文章が不要になったり、欠点を見つけ出してもらうことを深く望んでいる。現在は収集家にとっては長いともいえる2年続けての東京国際コイン・コンヴェンションの中止により現地での拡大鏡を使った分類ができない状況であり非常に残念である。新型コロナウイルスの感染拡大予防のため、地元の貨幣研究会例会でさえ1年以上中止をしている状態である。自由に催事に行けるようなった際は拡大鏡を持ち未見品はもちろんのこと稀少度の高く、私の所有しているものより状態の良い貨幣があれば選んできたい。会場で未見品を探すのも非常に面白い。

※茨城貨幣研究会例会は2021年10月17日から再開しました。


2.内容
本ホームページでは昭和26年から令和3年までに発行された現行10円青銅貨の通常貨にはもちろんであるが、昭和62年から令和3年まで発行されている10円青銅貨のプルーフにも最新の特徴分類と特徴記号を追加してみた。10円青銅貨の手変わり分類は様々ありコストもあまりかからず非常に面白い分野である。例えば、稀少性、状態の良い貨幣、青銅貨の未使用といってもさまざまであり長くコレクションを続けるとよくわかってくるだろう。銅の原色の割合具合でPCGSやNGCなどのいわゆるスラブ入りコインでは区別していて評価・価格もかなり異なることが分かってくるだろう。

さらに従来、昭和61年 後期 Cf型 階段石垣耳石切れ目:無し は昭和62年プルーフ 階段石垣耳石切れ目:無し を製造する際の試鋳貨と考えられており、昭和62年プルーフには階段石垣耳石切れ目:無し しか存在しないと考えられてきたが、昭和62年プルーフ Ce型 階段石垣耳石切れ目:有り(大珍品 試鋳貨なのではないか?)を最近ヤフオク!から入手できた。偶然にも大発見ともいえるため日本貨幣商協同組合の「日本貨幣カタログ」に書かれている慣習的に用いている昭和61年 前期 Ce型・後期 Cf型 に関しても貨幣の図と説明を追加していただき書き改めていただきたい。このことに関しても後で詳しく述べたい。なお、当然のことながらプルーフに関しても10円青銅貨の手変わり分類表を追加することにした。当然ながら、昭和62年プルーフ Ce型 階段石垣耳石切れ目:有 についての鑑定はまだ専門家・信頼できる専門機関に依頼をしていませんのでその点はご承知ください。催事に参加してみて本物と鑑定された場合、第三者鑑定機関であるPCGS社にグレーディング依頼をしてもらおうと考えている。
「日本貨幣カタログ」2022年版には昭和61年前期と後期のことしか書かかれていなかった。そのほかの手変わりの掲載は間に合わなかったため来年以降に期待します。


神吉廣純氏の分類のうちで唯一の細部特徴ともいえる昭和56年 枕:有無 に関してだけ拡大写真にて紹介し、各極印種の詳しい特徴を解説した。極印鑑定上重要な変化を含むものを重視し、多少細かくなっても記載するようにした。実際に拡大鏡で区別するときは大まかな箇所は15倍、細部特徴に該当する枕:有無に関しては22倍の拡大鏡がいいであろう。私は最近2021年4月19日に開催された第24回オークションワールドで昭和40年 Ab型 前期 右隅楼軒先:2本線10円青銅貨(少ない手変わり品)NGC-MS65RDを落札した際に、中国製の拡大鏡をプレゼントしてもらったが非常に見やすく気にいっている。

造幣局で規定指定している10円青銅貨の表面にあたる「宇治平等院鳳凰堂面」と裏面にあたる「年号面」を青銅貨の輝き具合についてもよくわかるように写真をふんだんに使った。良い貨幣とはどういうものをいうのかよく理解できると思う。上級収集家の方は、ぜひ完集に挑戦していただきたい。通常貨の神吉廣純氏の分類表にあり、存在の報告はあるが現品未確認のものとして挙げられている昭和56年 Bd型 左裳階枕:上下無し、昭和59年 Cb型 左破風:階段型、鈴木和三郎氏の『日本の現行貨幣−収集の手引きー』に記載されている昭和54年 Bb2型 左隅楼軒先:細い2本線 左裳階 枕:下無し 未使用は完集にはかなりの年月が必要であろう。10円青銅貨は様々な貨幣を低コストで収集できる資金の掛からない分野であり、収集難易度と収集パターンを楽しめる分野と言えよう。

3.基本的なコインの部位
基本的には神吉廣純氏の分類表に従った。これらの名称は実際にある呼び名ではなく、基本的には鈴木和三郎氏の発表された貨幣上の名称に従っている。一部、私が改称した部分があるがその点はご容赦いただきたい。どこまで私が付けた名称が収集家に浸透するか未知である。正式な名称について宇治平等院鳳凰堂に関する多くの書物はもちろん、宇治平等院ミュージアム鳳翔館学芸員の田中正流氏から名称を教えていただいた。名称に関しては貨幣にするために彫刻するにあたり、実際の平等院鳳凰堂にはあるものがあったり、なかったりするため分かりにくい。そのため名称にはこだわらなくてもいいのではないかという結論に至りました。

特徴記号が異なることは、平等院鳳凰堂側の極印が異なることを意味する。繰り返すが、「手変わり」の細分類は拡大倍率によって差異がみられることもあるので省略をするかを決めておき、事前に特徴分類や基本的な語句は頭に入れておいてもらえるとより理解度が高まると考える。
基本的な分類に関する考え方については神吉廣純氏が執筆された『収集』2006年9月号に可能な限り準拠した。なお、特徴分類の名称に関しては鈴木和三郎氏が執筆された「日本の現行貨幣−収集の手引きー」に可能な限り準拠した。
神吉廣純氏と鈴木和三郎氏が発表された分類方法は正式な書物に記載されているため省略はしていない。仮に誤植があったとしても記載をした。手変わり分類表にも、未見品に対する存在可能性を示す情報や通常品にも造幣局や日本銀行調査局や多くの書籍で記載されていることを可能な限り記載するようにした。

慣習的な前期・後期という表現に関しても記号をつけることにした。また、実際の平等院鳳凰堂の正式名称と貨幣で使われる名称を比べて、より正確な名称にしたが収集家にどれだけ認めてもらえるのか楽しみである。収集難易度に関しても経験から可能な限り多くの情報を記載するように心がけた。最初に研究・発表された神吉廣純氏、著書やホームページで細分類など文字形状の違いなどを研究された鈴木和三郎氏の両者の研究成果がなければこの文章は書けなかった。

わが国で最初に10円青銅貨にも手変わりがあることを紹介してくださった昭和56年前期・後期を「ボナンザ」誌に投稿された杉浦和美氏、同じく昭和27年銘前期・後期を紹介してくださった枝重夫氏、四人の諸先生方には感謝をする次第である。また、株式会社銀座コイン、書信館出版株式会社、日本貨幣商協同組合、貨幣の収集 研究の専門誌である月刊誌「収集」の資料(コピー)を送付してくださった現行10円青銅貨の手変わりについて多くの知識をくださった薄木豊明氏、彼には特に昭和61年 後期 Cf型を譲ってくださったりお世話になった。 コインショップ隆泉の工藤隆正氏、手変わりに関する正確な情報をいち早くくださった茨城貨幣研究会会長滝田正雄氏、八木明男氏、寺門信夫氏、加藤辰夫氏ほか各メンバーにも感謝をしなくてはならない。その他大勢の方にもお世話になった。
末筆ながらこのホームページの公開についていろいろご尽力していただいた大給松平氏にも大変お世話様になり、ありがたく御礼申し上げる。


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