昭和27年 後期 Aaに類似タイプⅡ

昭和25年、昭和26年に製造された不発行10円洋銀貨は朝鮮動乱が原因でニッケル相場が騰貴したため不発行に終わった。昭和26年になってから10円貨の素材については再検討が行われ、青銅貨とすることにして、昭和26年12月制定されることとなった。

新制定のものは、表面は宇治平等院鳳凰堂に唐草、裏面は月桂樹の抱き合わせ(財務省造幣局によると「常盤木」)、洋銀貨では付けられなかったが、側面にキザミが付けられた。「常盤木」といっても、そのような樹木があるわけではなく、常緑広葉樹の一般名称であり月桂樹でもあり「常盤木」ともいえる。

当時10円の日本銀行券は大量の流通量であったが、青銅貨を全国一斉に同時発行し、可及的迅速に銀行券と交換し、並行時期をなるべく短くするという方針を立て、制定後製造開始から発行にいたる期間を長くし一挙に交換するということにし、昭和28年1月5日から流通が開始した。したがって、記年は昭和26年からあるが、発行は昭和28年からという、前例のないやり方であった(郡司勇夫氏の見解)。

また、日本銀行公式ホームページによると、「昭和28(1953)年発行開始 貨幣は昭和26(1951)年に制定され、製造が開始されました。」と記載されています。郡司勇夫先生の意見が正しいようです。10円青銅貨幣(ギザあり)の発行開始年については、財務省の関連資料を参考にしつつ、利用の便宜を考え、日本銀行から市中金融機関への支払を開始した年を記載し、併せて製造開始年の昭和26年を記載しております。

一方、「新訂 貨幣手帳」(ボナンザ、1982年、222頁)によると、10円青銅貨の発行は、10円紙幣と交換するため相当量を確保してからという理由で延ばされ製造開始後約1年を経た昭和27年9月に市中にお目見えした。おそらく当時のデータが残されておらず造幣局でも分からないとのことです。

造幣局の公式見解でも「当時の造幣庁が昭和27年度に10円青銅貨幣を日本銀行に引き渡したのは、昭和27年9月からで、それ以降も毎月、日本銀行に引き渡していたようです。「造幣局長第79年報書(昭和27年度)」には、「10円青銅貨幣は昭和26年度中に製造した分も合わせて発行した。」と記載されていますが、それ以外の詳細な内容の記載がありませんので、詳細についてはわかりかねます。」

なお、製造から発行までに時間を要した背景について「当局側では、10円紙幣を比較的短期間に回収するためにも相当量を製造しておいてから発行する計画であった」(毎日新聞社編「お金の雑学事典」毎日新聞社、1979年、73頁)。

まとめると、造幣庁がギザ有り昭和26年銘を製造開始した時期は根拠法令制定年月日の昭和26年12月7日より前の昭和26年10月であり(ボナンザ「新訂 貨幣手帳」222頁、1982年)と昭和27年銘、昭和28年銘は製造されていたのかは疑問が残りますが日本銀行に引き渡した時期は昭和27年9月であり、日本銀行が市中金融機関に支払いを始めた時期は昭和28年1月5日ということになります。

PCGS-MS65RD かなり光沢は残っていて気にいっています。

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後期 おんどりor 鶏型鳳凰 に着目しました。

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10円洋銀貨

戦後の激烈なインフレーション状況下で全通貨(銀行券と補助貨)の額面別流通状態は最高額面のA100円銀行券が主力となり、銀行券の製造はこれに集中されることになって、低額券の製造は補助貨に転換せざるを得なくなったのは自然の趨勢といえるだろう。

一方、造幣局の作業面の整備もようやく成ったので、1円と5円の両貨がまず黄銅貨として製造されることになった。なお、この両貨は日本銀行券と並行流通された。同時に10円の補助貨についても早くから考えられていたのであるが、素材面が容易に決定されなかった。銅にニッケルおよび亜鉛を配合した「洋銀」と呼ばれる合金を素材とすることにようやく決定し、昭和25年(1950年)3月に制定されるに至った。そして昭和25年から製造を開始した。

洋銀は銀ではないが銀色を呈しており、銀の代用として装飾品や食器などに使われるものであり、貨幣の素材としては世界でもあまり例のないもので、本邦でも初めての試みであった。図案は表面茶の花の枝を向かい合わせたもの、裏面は鉄線模様という、今までに全く例を見ない題材のものであった。

有孔としたのは素材使用量の節減と偽造防止の見地からである。昭和24年当時の10円日本銀行券の流通高は113億9477万円に上っていたので、10円洋銀貨幣を徐々に発行すると、物珍しさも手伝って隠退蔵される恐れがあったので相当の製造量に達したうえで発行するのが良いという日本銀行側の見地から、製造済み貨幣はすべて造幣局で保管することになった。

ところが発行を前にして昭和25年の6月25日に勃発した朝鮮戦争のため、諸地金とくにニッケルの地金が急騰し、発行できなくなってしまった。本貨は昭和25年、昭和26年の両記年のものがあり、製造が翌年まで続けられたのであるが、結局は発行されずに終わった。制定されながら発行にいたらなかったのは大正7年制定の八咫烏銀貨以来のことである。

この朝鮮戦争で日本はアメリカ軍の作戦基地となり、特需ブームをもたらして経済の困窮から脱したのである。

昭和26年 Aaに類似タイプI 追記

別な貨幣を紹介します。PCGS-MS65RB。めんどり別名は鳩型鳳凰。自分でつけました。枝重夫氏と郡司勇夫氏、喀龍先生、鈴木和三郎先生の諸先輩に感謝します。状態の良いものは残されていません。最もそれなりの金額を出せば入手はできます。

ドッジ・ライン実施により、昭和24年末には日本銀行券の発行高も3553億円とほぼ前年末と同程度にとどまることになり、戦後のインフレもようやく収束の段階に入り、物価も次第に安定していった。

それを機会として、昭和25年から28年にかけ日本銀行は新たな銀行券を発行した。新発行の日銀券は1000円、500円の高額券が初めて発行され、10円以下の小額券が発行されなくなった。

これはインフレの進行により高額券が必要になったことと、高額券の発行により、インフレの心理が再燃する懸念がもはやなくなったと判断されたためであり、さらにインフレによって通貨価値が下落し、10円以下の小額通貨は補助貨によるほうが適当と見られるようになったからです。その後、10円青銅貨と1円アルミ貨が鋳造された。

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昭和27年 前期 Aaに類似タイプI めんどり

平等院鳳凰堂にめんどりができてしまったため後日おんどりに修正されたいわくつきのものです。郡司勇夫編「日本貨幣図鑑」や「図録 日本の貨幣9」で正確な経緯が書かれていますが、造幣局の正式な見解では当時の資料が残されていないため公式には何も答えてはくれませんでした。高度な技術を持った熟練した工芸官が彫るので国家秘密になるため外部には決して発言できない分野なのだと推測します。そのため手変わりは勧められず年号で選ぶのがよいとされています。

昭和27年はまだ日本が独立できなかった頃の貨幣で国名も日本政府と呼んでいました。

昭和27年 前期 Aaに類似タイプI めんどりor鳩型鳳凰 を紹介します。少しはきれいに撮影することができました。

PCGS-MS65RD

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昭和26年 Aaに類似タイプI

撮影してみると何回か試し撮りしているうちに慣れてきました。iPhone X シルバーなので光に反射して携帯の銀色の外枠が写らないように工夫しています。
 
前にも紹介しましたが昭和26年、昭和27年前期はAaに類似タイプⅠに決めました。これらの分類番号は主に喀龍氏の分類方法に従っています。両年とも前期のめんどり(鳩型鳳凰)で日本貨幣カタログでは同じ番号の02-8で昭和27年後期以降の02-8(ギザあり)とは区別されるべきだからです。一種の細分類です。

PCGS-MS64RB 銅の光沢があまり残されていません。繰り返して撮影し直しました。

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青丸で拡大した箇所がめんどり、別名は鳩型鳳凰と呼びます。この区別はコイン業界で認知されています。銀座コインオークションにも出品されました。その他多数あります。最も手変わり区別されて販売されることは少なく実績が少ないため価格差には反映されません。昭和26年の未使用は市場には大変少なくPCGS-MS64RD以上のものがあまり残されていないために高価になっています。

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第2回 ミントミントオークション カタログの到着

待ちに待っていました第二回ミントミントオークションのカタログが郵送されてきました。入札したい10円硬貨も多くあり、入札してみます。すべてのコインにスラブコインの鑑定書番号を記載してもらいたかった。詳しい局所部分を見てみたかったからです。特に、手変わりの場合は重要でごく当たり前に見られるものと稀少性の高い貨幣が分かるからです。東京コインショーの催事に行き下見をしなかったのが悪いのですが。ミントミントオークションさん、どうもありがとうございます。

中国製のコインホルダーが昨日届きました。前回と比べて内容は同じでも外箱が変わっていました。何か中国製というと良くないイメージがありますが今のところ大変親切です。

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第11回 auction world カタログ、2018年カレンダーが届く

第11回 オークション・ワールドの入札誌と2018年版カレンダーが届きました。どういうわけだか分かりませんが銀座コイン様からはカレンダーが届きません。あと少し待ちます。また、第2回ミント・ミント・オークションのカタログも12月末にカタログの完成とホームぺージには記載されていますが今日現在でまだ届いていません。やはり催事に頻繁に参加しなかったせいもあるのだろうか。

明日から冬休みになるので昼間、10円硬貨の撮影をします。

日本貨幣カタログ2018

市内の図書館に注文予約していた書物が届いたので取りに来てほしいとの連絡を頂いたので図書館まで取りに行きました。内容を見た限り、10円の手変わりや平成28年しか発行されなかった貨幣が掲載されていなかったので貨幣研究会会員価格で購入しなくて大正解でした。これからコイン商の営業時間や変更点など見てみます。

中国製のコインホルダーを10箱買いました。発送通知はありましたがまだ届いていません。明日、届くと思われます。

眼鏡をクリーニングしましたがほこりが多かったせいで傷がありました。やはり。

10円の手変わりを昭和26年から順にまとめてみました。まずは通常貨についてです。次はプルーフになりますが平成27年、平成28年、平成29年を入手できていません。現行貨の手変わりメインBBSで紹介しています。手変わりを理解してもらうため大勢のコレクターに公開します。ゆくゆくは「日本貨幣カタログ」、「収集」に掲載されるのが夢です。
 

コインホルダーの残りがなくなりました

大切な貨幣を厚紙で挟みホチキス止めする通称コインホルダーを使い終わり買わなければならなくなりました。できる限り出費を控えたい。年末なので宅急便も混雑していて配達できないらしい。


日本製の2種類、中国製の1種類があり無駄遣いが多いため中国製になるだろう。もし買ったら報告します。


昼間しか写真撮影ができないため、マクロで撮影したかったがそこまで余裕はなかった。Xでも夜の電灯の下での撮影は苦しいようです。まだ、マクロ撮影に詳しくないのでわかりませんがまず撮影はできないと思ったほうがいいらしいです。


ヤフオクやメルカリなどから購入するより貨幣研究会から入手したほうがはるかに安上がりで済むし購入した枚数も多い。今までのコインアルバムを眺めていてY氏から譲っていただいた10円貨幣の多さが目に留まった。


最近、写真がなく申し訳ありません。

2017/12/17 茨城貨幣研究会 忘年会、万交換会

本日、市内の場所で今年一年を振り返っての忘年会とチャリティーオークションがあり参加してきました。会費が3000円でした。

忘年会では豪華な食事とお話を聞け大変満足しています。食後のチャリティーオークションでは初めて10円青銅貨が出品され、普段の盆回しでも見たことがなくびっくりしています。これにしようと決め二人で競合、500円で譲っていただきました。ありがとうございます。

コイン商に卸されるS氏も参加され、食事の時隣で会話。昭和59年Cb型の未使用は必ず見つかる、昭和56年Bd型は今度持ってきてくださるので自分で選ぶことなど。商売ですから当然です。忘年会や研究会の盆回しで出品される貨幣は相場より極端に安く、コイン商で引き取ってくれる価格よりかなり安いので数点買われていました。

もう一つ、ラッキーだったことは昭和33年の10円流通貨を全部で63枚譲っていただいたことです。1枚60円で取引が成立。コイン商の催事では20円が買い取り価格、コイン商では店頭価格300‐400円が相場。数百円割り引いていただいたので大変満足しています。

今日、収集したコインはすべてコインホルダーに閉じ、今日の日付と購入した額、誰から入手したかなどの情報を記入して、コインアルバムに入れ使わないように保存しておきます。「日本貨幣カタログ2018」は市内の図書館に予約しておきました。1冊1200円でしたので購入したかったのですがユニクロでズボンを買わなければならず躊躇しました。カタログは来年になればネットオークションで半額になるしその時になってからでも遅くはないと。2015年、2016年、2017年と毎年買っているためよく考えて内容も見てから購入しようと思いました。