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10円青銅貨の手変わり

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ギャラリー

●試鋳貨 昭和26年5円青銅貨(ギザ無し) プルーフ 極美品 3.13g

第28回銀座コインオークション(2016年)に出品され、520万円で落札された。

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4.ギザ十
10円青銅貨にはエッジ(縁)にギザが刻印されている。初年の昭和26年(1951)から昭和33年(1958)までエッジにギザがあるタイプで「ギザ十」と言って人気がある。
今から50年以上前に発行された低額貨幣の10円なので、流通が激しく、未使用品は極めて稀少です。

ギザ十はあくまでも「古いタイプの10円硬貨」という意味で、すべてのキザ十にプレミアが付くことはありません。2011年(平成23年)に現地販売である造幣東京フェアでミントセット及びプルーフセットが「10円青銅貨誕生60周年」が発行された。これは10円青銅貨が誕生して60年経った記念に作られた。1円アルミニウム貨、5円青銅貨、50円白銅貨はすべてミントセットやプルーフ貨幣セットだけに組み込みされたため高値で取引されている。
コイン収集そのものは取引額の多寡に比例しないので、手軽に楽しむに状態を厳選した通用貨幣を年銘収集するのもお勧めです。

5.試作貨・不発行貨・稀少品
一般市場ではほとんど見ることのできない珍品、稀少品について紹介する。

不発行 ①昭和25年制定洋銀貨 朝鮮戦争のため、ニッケル相場が暴騰して不発行。昭和25年~昭和26年の2年間発行したが、流通させず回収して鋳潰した。

試作貨には 未発行貨、不発行貨、見本貨幣などが含まれるが、これらの貨幣がなぜ造幣局外部の民へ持ち出されるのか不思議である。これらのものは局に携わっている人々が新貨幣発行に関係した図案、材質、打印などの組み合わせにサンプルとして提出されたものを持ち出したり、不採用になり廃貨になって時効になったものが多く、戦後GHQ関係の外国人に持ち出されたものが多い。したがって、これらの貨幣の発行枚数や現存数などは不明で、はっきりした根拠のあるものとないものもあるが発行貨幣と異なり非常に稀少であることは間違いない。 表面の宇治平等院鳳凰堂が10円青銅貨と同様のデザインのもので、ギザがないことである。

例えば、 ①昭和26年10円青銅貨(ギザ無し)、 ②昭和26年5円青銅貨(ギザ無し)があげられ後者②は銀座コインオークションに出品される。落札価格は520万円。銀座コイン店頭で下見をした際に撮影した。 ③昭和26年1円青銅貨(ギザ無し)などがある。いずれも非常に稀少であることには間違いない。

手変わり品であるが、 昭和56年 前期 Bd型 左裳階枕:上下無し 現存数の少ない珍品と思えるが、未見。存在可能性はかなり否定的。神吉廣純氏の存在の報告はあるが、現品未確認のもの。現状真偽も含め調査中である。もし発見されれば大珍品であることは間違いない。昭和59年 前期 Cb型 左破風:階段型 (稀少) 流通品は所有している。この未使用品を探しています。 これらの稀少品(昭和56年 前期 Bd型 左裳階枕:上下無し、昭和59年 前期 Cb型 左破風:階段型 未使用)を発見された方はぜひご報告いただきたい。また、鈴木和三郎先生の書籍及びWebページで発表されている昭和54年 Bb2型 前期Ⅱ 
 左翼廊楼閣軒先:細い2本線、左裳階:枕無も探しています。そのほかの未見品を見つけられた方もお願い致します。 昭和61年 後期 Cf型 階段石垣耳石切れ目:無(稀少) 有名な手変わり品です。昭和62年プルーフ 前期 Ce型 階段石垣耳石切れ目:有 (珍 試作様)信頼できる鑑定書がまだない。コイン鑑定士、PCGS、NGCなどの第三者鑑定機関で認定していません。その後、茨城貨幣研究会例会に持参してみて見ていただきました。

6.受難の10円
『お金の雑学事典』毎日新聞社編によると、「戦後、受難を味わった通貨は10円だろう。急激なインフレ抑制のため昭和21年2月、旧円の封鎖と新円(100円、10円)が発行された。100円札は聖徳太子が四回目の登場となったが、新10円札は、国会議事堂の正面図を取り入れた異色のデザインであった。

最初の案では薬師如来の随神である十二神将のうち、伐折羅(ばさら)の激怒した面相であったが、GHQは社会不安をあおるとして許可しなかった。

しかも採用された議事堂正面図の図案はちょっと見ると「米」という字形に見えて、右側の菊紋と「拾圓」の銘記を鎖で囲んだような形は「国」の形にもみえ、いかにも米国に敗れた国の紙幣らしい、と悪評サクサクだった。そうでなくとも、従来の日本の紙幣とは全く異なった意匠に大衆はアレルギー反応を示したのであった。

猛威を振るったインフレも昭和24年ごろになるとだいぶ弱まってきたが、お金の価値もダウンした。そこで小額通貨を紙幣で代用する戦時中の”悪弊”を改めて、半永久的な硬貨にすることが検討され、まず10円が候補に上がった。

素材は白銅貨に匹敵する洋銀で、その組成を銅550-600、亜鉛290-220、ニッケル160-180、偽造防止のため有孔とした。ニッケルの使用量を極力節約したところに特徴があった。連合軍総司令部から10億枚製造の許可を得て、25年3月から製造を始めた。直径20ミリ、量目2.75g、表の意匠にお茶の花が採用された。これは初めてのことである。

当局側では、10円紙幣を比較的短期間に回収するためにも相当量を製造しておいてから発行する計画であったが、製造開始3か月後に起こった朝鮮戦争がこの計画を覆してしまった。

ニッケル地金は国連軍の軍需資材として価格が急騰し、26年5月にはニッケルの使用制限規則が公布され、10円洋銀貨はついに発行できない状態に立ち至った。26年8月までの1年半に7億4647万4581枚製造されたが、日の目を見ることなく鋳潰されてしまった。10円青銅貨(ギザ有)となって現れるのはその2か月後であった。」と書かれている。

主に参考にさせていただいた文献は下記のとおりである。
(1)亀谷正嗣編「日本の近代銀貨(1円銀貨の部)」第2版、書信館出版株式会社、2018年。
(2)鈴木和三郎『日本の現行貨幣-収集の手引き-』、内外貨幣研究会、2011年。
(3)日本銀行調査局『図録日本の貨幣 管理通貨制度下の通貨』第9巻、東洋経済新報社、1975年。
(4)郡司勇夫編『日本貨幣図鑑』、東洋経済新報社、1981年。
(5)青山礼志編「新訂 貨幣手帳」、ボナンザ、1982年。
(6)東野治之『貨幣の日本史』、朝日新聞社、1997年。
(7)大蔵省造幣局編『造幣局百年史』、1971年。
(8)「収集」書信館出版株式会社。
(9)久光重平『日本貨幣物語』、毎日新聞社、1976年。
(10)久光重平『日本貨幣史概説』、図書刊行会、1996年。
(11)利根三津夫・植村峻・田宮健三『日本通貨図鑑』、日本専門図書出版、2004年。
(12)日本貨幣商協同組合編「日本貨幣カタログ1994」、日本貨幣商協同組合、1993年。
(13)日本貨幣商協同組合編「日本貨幣カタログ2021」、日本貨幣商協同組合、2020年。
(14)日本貨幣商協同組合編「日本の貨幣-収集の手引きー」、日本貨幣商協同組合、2010年。
(15)「ボナンザ」昭和56年。
(16)監修 松尾良彦『日本のお金ー近代通貨ハンドブックー』、大蔵省印刷局、1996年。
(17)小葉田淳『日本貨幣流通史」、刀野書院、1969年。
(18)今村仁司『貨幣とは何だろうか』、筑摩書房、1994年。
(19)竹内俊夫『お宝貨幣なんでも読本』、講談社、2013年。
(20)小島恒久『新版 日本経済の流れ』、河出書房新社、1984年。
(21)日本銀行百年史編纂委員会編『日本銀行百年史』、1982~86年刊行。
(22)(財)大蔵財務協会『日本の貨幣 貨幣が語る時代と生活』、山口新聞社、1984年。
(23)毎日新聞社編『お金の雑学事典』、毎日新聞社、1979年。
(24)郡司・山口・稲垣・北小路『おかねにみる世相・風俗の変遷 貨幣の歴史』、福島民友新聞社、1983年。
(25)東海銀行『東海銀行創立30周年記念発行 貨幣』、東海銀行、1971年。
(26)秋吉光行ほか編『平等院大観 第1巻 建築』、岩波書店、1988年。
(27)濱島正士『文化財探訪クラブ3 寺院建築』、山川出版社、2000年。
(28)近藤豊『古建築の細部意匠』大河出版、1980年。
(29)清水恒吉『南鐐蔵版 地方貨幣 分朱銀版 価格図譜』書信館出版株式会社、1996年。


平等院鳳凰堂と10円青銅貨

2021年1月23日放映、1月30日再放送 BSテレビ東京「新美の巨人たち」では平等院鳳凰堂について詳しく解説されています。番組では「特に、実は、10円青銅貨は基壇のデザインが異なります。10円青銅貨は明治時代に修理された後の姿をもとにしているため、基壇は筆法積み乱積みの石垣になっている。しかし、昭和の修理の際に創建時の基壇が判明。現在の基壇に直した。」 2021年1月にテレビ東京系列及びBSテレ東で放送された鳳凰堂の基壇は明治修理と昭和修理の際に大きく仕様が変わっており、10円玉に描かれているものは明治修理後の姿をモデルとしています。 昭和修理の調査の中で創建当時の基壇と異なることが判明しておりますので、 同時期に発行されている10円玉のモデルは昭和修理後の姿ではなく、昭和修理前(明治修理後)の姿にせざるを得なかったということになります。


基壇とは、一般に建築物の基になる壇の意味で、建築物の下方、平地の上に普通石を組んだり、積み上げたりして高くした部分をいう。

基壇の積み方で昭和26年以降に製造された平等院鳳凰堂はすべて乱積みということになります。乱積みは不規則な自然石(野石)を適当に積んだ積み方で、石垣積の一種ともいえる。明治修理では基壇を触っていませんので、恐らく江戸時代のいつからかの修理から昭和修理までは乱積みです。




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