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10円青銅貨の手変わり

通常貨(昭和26年〜昭和33年)

通称「ギザ十」の手変わりです。枝重夫氏により昭和27年前期と後期の手変わりが「ボナンザ」誌上で発表されました。現在では大手オークションに出品され認知されています。昭和26年〜昭和33年までは鳳凰形状により分類しました。

ギャラリー

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informationお知らせ

2021年8月22日
通常貨の昭和26年〜昭和33年まで公開。
2021年8月12日
サイト準備中
20**年*月*日
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年銘  識別番号 特徴
昭和26年 Aa型に似る1 鳳凰形状:めんどり 鳩型鳳凰 100%
昭和27年 Aa型に似る1 鳳凰形状:めんどり 鳩型鳳凰、短尾 前期 やや少ない
昭和27年 Aa型に似る2 鳳凰形状:おんどり 鶏型鳳凰、長尾 後期 やや多い
昭和28年 Aa型に似る2 鳳凰形状:おんどり 鶏型鳳凰 100%
昭和29年 Aa型に似る2 鳳凰形状:おんどり 鶏型鳳凰 100%
昭和30年 Aa型に似る2 鳳凰形状:おんどり 鶏型鳳凰 100%
昭和32年 Aa型に似る2 鳳凰形状:おんどり 鶏型鳳凰 100%
昭和33年 Aa型に似る2 鳳凰形状:おんどり 鶏型鳳凰 100%


本貨幣は昭和26年(1951)年に制定され、製造が開始されました。昭和28年(1953)年発行開始。
図柄:平等院鳳凰堂、常盤木
素材:銅95%、亜鉛4%〜3%、錫1%〜2%。
直径:23.5mm
量目:4.5g
縁刻:ギザ有(当時は最高額面の貨幣にだけギザを付けることになっていた)


昭和26年当時の貨幣の発行は「貨幣を造幣庁から日本銀行へ引き渡す」ことを指す。また、当時の発行される前の10円青銅貨が日本銀行に引き渡されたのは昭和27年9月からです。この10円青銅貨は、昭和26年10月から製造されています。昭和26年銘及び昭和27年銘の10円青銅貨を造幣庁から日本銀行に引き渡したのは昭和27年9月からです。

青山礼志『新訂 貨幣手帳』ボナンザ、1982年、222頁によると「造幣局は、大蔵省からの正式通知を受ける前から、すでに洋銀貨が発行できなくなった場合に備えて、新しい10円貨幣について研究を進めており、素材は資材面から考えて青銅が適当という結論に達していた。

今日も引き継がれている宇治平等院鳳凰堂の図案は、実は将来製造することになるであろう50円銀貨(制定無し・未製造)のために作製されていたもので、銀を予想していたため非常に細かい線で構成されており、屋根の上、左右に配されている鳳凰の雌雄まで区別されている。」


『造幣局125年のあゆみ 改訂版U』造幣局泉友会、2018年、116頁によると、「昭和26(1951)年、幻の10円洋銀貨幣に代わるものとして10円青銅貨幣の製造を開始した。表に宇治の平等院鳳凰堂、裏に月桂樹を配したもので、ギザ付きであった。」

10円青銅貨の発行は、10円紙幣と交換するため相当量を確保してからという理由で延ばされ、製造開始後約1年を経た昭和27年9月に市中にお目見えした(石原幸一郎『日本貨幣収集事典』原点社、2003年、257頁)。


1950年(昭和25年)3月2日法律第3号臨時通貨法改正により「十円」が追加され、1951年(昭和26年)12月7日政令第372号「十円の臨時補助貨幣の形式等に関する政令の一部を改正する政令」により臨時補助貨幣として1953年(昭和28年)1月5日に発行された。

『造幣局100年史』367頁によると、「10円青銅貨の形式は12月7日に制定されたが、その製造は洋銀貨の製造打ち切り直後、10月3日から既に開始されていた。」さらに、10円洋銀貨は不発行と決まると、間髪を入れず10円青銅貨となって再生した。

この鳳凰は明治修理までは鳳凰堂の大隅の両端に上げてあったが、昭和修理後昭和40年代に大気汚染の危険から守るために降ろされた。新たに、昭和43年に実際に平等院鳳凰堂に上棟されていた模造品(昭和31年制作)が作られ、原品は国宝に指定されており、昭和48年当時の宝物館(昭和40年竣工)の収蔵庫に収められている。全く同じ大きさ形をしている。

現在では「ミュージアム鳳凰館」に国宝 鳳凰一対が収められており、旧宝物館の老朽化に伴い先端的設備などの導入による収蔵環境の改善を施した第3世代ミュージアムとして平成13年(2001年)に開館した。本物の初代鳳凰と二代目鳳凰(模造品)は一般公開される。2021年11月3日から2022年1月9日まで愛媛県美術館にて昭和43年に上棟されていた鳳凰像 模造品(昭和31年制作)が展示された。行きたい。

2022年2月5日から3月27日まで静岡市美術館にて「平等院鳳凰堂と浄土院 その美と信仰」が展示されている。内容は次のようである。「2022年に開創970年を迎える平等院は、平安時代中期に朝廷で絶大な権勢を誇った公卿・藤原道長が所有した宇治川畔の別荘を、永承7(1052)年に長男の頼通が寺院に改めて建立した京都屈指の名刹です。同寺は現世に極楽浄土を再現するべく壮大な伽藍が整備され、創建期に遡る現存唯一の遺構である鳳凰堂には、建築、彫刻、絵画、工芸と技術の粋が結集されています。定朝作の阿弥陀如来坐像(国宝)を安置した堂内は善美を尽くした装飾で華麗に荘厳され、優美で格調高い王朝貴族の美意識を今に伝えています。

平等院では近年、創建当初の姿の復元を目指し、鳳凰堂の修理や調査研究が進められています。本展では雲中供養菩薩像(国宝)に代表される鳳凰堂ゆかりの名品を中心に、調査の過程で新たに発見された貴重な作品、養林庵書院(重文)襖絵など塔頭の浄土院に伝わる知られざる寺宝の数々もかつてない規模で展観し、平等院が守り伝えてきた信仰と美の遺産をご覧いただきます。」

平成の大修理後は鳳凰堂の大屋根の鳳凰像には金鍍金がされた。実際の平安時代の創建時の姿に近づけた。また、左右の翼廊の屋根を飾る「露盤宝珠」も金色に変わる。

本貨は予想外に流通市場に浸透し、流通開始以来2年3か月にして日本銀行券10円券は30年4月1日から日本銀行の支払いを停止するに至った。なお、貨幣のギザの数は132個であった。

貨幣の取り扱い

日本銀行によると、「貨幣は、日本銀行ではなく、政府が発行しています。貨幣は、独立行政法人造幣局が製造した後、日本銀行に交付されますが、この時点で貨幣が発行されたことになります。貨幣も銀行券と同様に、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出すことを通じて、世の中に送り出されます。」と説明されておられます。

極印については、昭和24(1949)年に炭素鋼からクローム鋼に切り替え、命数(寿命)が延びた。(「造幣局125年のあゆみ 改訂版U」124頁)。また、昭和24年から極印用鋼材を、従来の単純炭素鋼から、クローム0.6%程度を含む炭素鋼に変更して、耐用命数の延長を図り、昭和28年度以降全貨種にわたり使用。(「造幣局百年史・資料編」大蔵省造幣局、1974年、365頁)。














昭和26年 Aa型に似る1








元近代貨幣研究会会長枝重夫氏によると、「明治時代の手変わりとはいささか違うのですが次のような理由で昭和27年の10円には手変わりがある。郡司勇夫編『日本貨幣図鑑』東洋経済新報社、1981年、295頁に”表面鳳凰堂の屋根の両端にある鳳凰の尾翼の形が実際と異なっていることが発行後問題となり、記年昭和27年の後半製造分から原型が修正された”と述べられている。

10円青銅貨は昭和26年に初めて製造されたのですが、その鳳凰の尾翼が実際のものと違っているというのです。次の年の昭和27年にも同じように間違った意匠のものが出てしまい後半になって正しい尾翼の鳳凰に改められて現在まで継続しているのです。分かりやすく説明すると、昭和26年のものはすべて誤った鳳凰、昭和28年以降現在まではすべて正しい鳳凰になる。つまり昭和27年だけに鳳凰の手変わりが2種類あるわけです。」と述べられている。


「手変わり」とは、種類の異なる極印で打たれたものを指す。極印の製造過程で発生したデザインの変化などがあげられる。稀少な手変わりにプレミアムを付けて販売されることは収集界独自のものである。個人的には極端に高価な価格で販売されることは望んでいない。各収集家一人一人が自分の満足する方法で集められることが最もよい。 昭和27年に前期と後期があることを知ってから年号別コインアルバムの空欄にシールを張り、前期と後期の2枚を入れておいたことがあり懐かしい。そのことが初めて10円青銅貨手変わりに出会ったきっかけです。もう一つは、数年前に近所の公立図書館に寄った際、偶然にも『日本貨幣カタログ』に昭和61年前期と後期の図と説明があったことです。それ以来、15倍と22倍の拡大鏡を揃え、流通貨から後期を見つけることになり見つけた時はこんなにも早く見つかるとは思わず、存在比、コイン商での価格や状態などを調査するのが至福の時間になりました。

昭和27年前期と後期は平等院鳳凰堂の鳳凰の尾の形状のみで判断できる分かりやすい局所変化(単独手変わり)である。昭和26年から昭和33年までは鳳凰形状の違いで分類しました。

本貨の交換は極めて順調で日本銀行は十円銀行券を発行後、2年3か月の昭和30年4月1日に支払い停止とすることができた。このようにして10円以下を補助貨幣とする通貨体制がようやくできたのである。

現在の鳳凰堂の屋根上の鳳凰は2代目になる。鳳翔館で収蔵展示されているのは、国宝に指定されている創建時の鳳凰である。昭和修理後の昭和40年代に大気汚染の危険から守るために降ろされた。その代わりに屋根上に上がったものが、現在の2代目鳳凰である。その2代目鳳凰が鍍金をされて金色になっている。














枝氏によると、左右とも鳳凰は尾翼が短いことが分かります。これが間違いなのです。尾が短いので「めんどり」と俗称されている。

一方、喀龍氏によると、鳳凰形状:「鳩型鳳凰」と呼ばれている。






昭和27年 前期 Aa型に似る1












実際のものに近く修正されたもので尾が長く、「おんどり」に変身している。なお、首が長くなり起きているのも変更になった点である。枝氏の調査では、「めんどり」も「おんどり」も同じぐらいの割合ですので特に値段に差は出ていない。もし、「めんどり」のほうが極端に少なければその値段が跳ね上がる。

一方、喀龍氏によると、「おんどり」のことを「鶏型鳳凰」と称されている。

私の調査では、存在数は前期がやや少なく、後期はやや多い程度と極端な差はないため評価は同じである。各々の正確な製造枚数、存在率は造幣局で公表していないのでわかりません。




昭和27年 後期 Aaに似る2





郡司勇夫編『日本貨幣図鑑』、1981年および日本銀行調査局『図録 日本の貨幣9』、1975年ともに東洋経済新報社によると、「本貨幣は昭和28年(1953年)1月5日に10円青銅貨の発行・流通が始まった。」

鳳凰堂は明治35年から40年、昭和25年から32年、平成24年から26年にかけて大がかりな修理が行われた。10円青銅貨は明治修理後の姿を手本にして製造・発行された。







昭和28年 Aa型に似る2














昭和29年 Aa型に似る2















昭和30年 Aa型に似る2


















昭和32年 Aa型に似る2














昭和33年 Aa型に似る2